トップページ > 最低限知っておきたい事 > レーシックの歴史を知る!

レーシックの歴史を知る!

レーシックの歴史を知る!

2000年頃から一般的に知れ渡るようになったレーシック手術・・・
その後もさらに進化し、今では老眼も矯正できるようになりました。

ところでみなさんはレーシック手術の歴史についてご存知でしょうか?
レーシック手術はまだまだ浅いというのは有名ですが、
今のレーシック手術の元になった技術や、エキシマレーザーについてご紹介します。

内容が多いので、そんなの興味ないよ!という方は読み飛ばして下さい(笑)

近視矯正手術は日本が最初だった!?

歴史

最先端の医療行為など欧米諸国が発祥の地だったりすることが多いのですが、
レーザーを用いたレーシック手術も海外で発明されました。

しかし、実は最初に近視矯正手術が行われたのは日本だという歴史があるのです!

1939年に順天堂大学の佐藤勉教授が、円錐角膜の患者にメスで角膜の一部に切れ込みを入れたところ、
近視が改善されることを発見しました。

そこで佐藤教授は円錐角膜患者以外の一般の人にも応用できないかをと考え始めました。

そのころ日本は戦争の最中で、真珠湾攻撃を経て第二次世界大戦へ参戦していました。
日本軍では近視が強い人間は兵役検査で不合格としていましたが、
日本人には近視の人が多く、日本軍は兵力の不足、特にパイロットの不足が問題になっていました。

そこで1943年に日本軍は近視治療の研究をしていた佐藤教授に研究援助を始めました。

佐藤教授はウサギを実験体として用いて研究を重ね、
佐藤式と言われる近視矯正手術の方式を確立されました。

実際に人へ応用されるようになったのは終戦後の1951年になってからで戦争には間に合いませんでしたが、
この手術は世界中に驚きを与えるものでした・・・・。

手術内容は、角膜の後面から前面へとメスを放射線状に入れるというものでした。
この手術を受けた患者は近視が治り、よく見えるようになったそうです。

しかし当時は角膜の一番奥にある内皮細胞の存在が知られておらず、
この佐藤式の手術ではその内皮細胞が傷つけられてしまっていたのです。

そのため手術を受けてから十数年経つと、
角膜が濁ってしまう水疱性角膜症を発症するケースが多発しました。

そのため日本では、
「近視を手術で治そうなんて無理な話だ!」と考えられるようになってしまったんですね。。。

ロシアの少年に起こった奇跡で蘇った佐藤式手術!

佐藤式手術が発明されてから18年後の1969年・・・、
日本から遠く離れたソビエト連邦の顕微手術眼科研究所の所長、スピャトスラフ・フィヨドロフ博士のもとに、
交通事故に遭い、その衝撃でメガネのレンズが割れ、
飛び散った欠片で角膜を傷つけてしまった少年が運ばれました。

フィヨドロフ博士が診察したところ大事にはいたっておらず、
目にあったガラス破片を全て除去して消毒するだけで済み、
あとは角膜の回復を待つだけでした。

数日後、目の包帯を取り少年が目を開けると・・・・
なんと0.1しかなかった視力がくっきりとものが見えるほどに回復していたということでした。

この出来事がきっかけで闇に埋もれていた佐藤式手術が思い起こされ、
フィヨドロフ博士は動物実験を重ね、佐藤式の問題点を解明し、
角膜の前面のみを切開すれば安全に近視矯正手術が出来るという方法を発明されました。

それがRK(放射状角膜切開術)と呼ばれる方法で、世界の眼科医を震撼させました。
その後欧米を始め様々な国でこの手術が行われるようになりました。

しかし、このRKは

・角膜の強度が落ちる
・強度の近視や乱視の矯正には向かない
・術後の矯正量を予測することが難しく、遠視化する傾向がある
・何よりも執刀医の技術力がかなり必要である

というデメリットがあります。
この手術の難しさは、0.5mm(500μm)の厚さしかない角膜の表面だけを切開するので、
医師のカンに頼るしかありませんでした・・・。

メスの代わりにエキシマレーザーを使用する方法が考案される!

1976年に米IBMの物理学/化学グループがエキシマレーザーを開発しました。

エキシマレーザーは、塩素、フッ素などの反応性ガスと
アルゴン、クリプトン、キセノンなどの希ガスを混合したガスに強い電圧をかけて励起状態にします。
すると、混合ガスから紫外線光の強力なパルス、つまりレーザーを放出し、
放射対象物の分子間結合を解離させ、非常に正確かつ微細な変化を起こすことが出来ます。

当初半導体のエッチングなどの工業目的にしか使用されていませんでしたが、
開発グループのサミュエル・ブラム、ランガスワミー・スリニバサン、ジェームズJ・ウィンの3人は、
ポリマー材料を綺麗にエッチングできるならば、人間や動物の組織で試せばどうなるのか?
と考えました。

1981年11月の感謝祭の翌日にスリニバサンが感謝祭の七面鳥の食べ残しを研究所に持ち込み、
骨や軟骨、肉などにレーザーを照射した結果、
エキシマレーザーの紫外線光は照射のした周囲の組織に損傷を与えることなく、
非常に綺麗に切り取ることができました

医療分野に強い興味を持ってもらうために、人間の髪の毛1本をレーザーでエッチングし、
電子顕微鏡の拡大写真を制作して、世界中に公開されました。

髪の毛その1

ところで、既述の通り外科用メスを使用して近視を矯正するRKには
様々な問題点があるので、メスの代わりになるものが求められていました。

1983年の夏にニューヨークの眼科医のステファン・トロッケルは、
IBMのエキシマレーザーの取り組みを知り、ただちにスリニバサンがいる研究所を訪問し、
ブーディル・ブラレンを加えた3人で研究を開始しました。

そして1983年12月に、トロッケル、スリニバサン、ブラレンの3人は、
近視や遠視などの屈折異常を矯正するためにエキシマレーザーを使用して
角膜の形状を変更するという考えを示した論文を発表し、
さらに研究がされた後にPRK(角膜表層切開手術)が発明されました。

このPRKの手術方法は、
直接角膜にエキシマレーザーを照射し、角膜を削って屈折を調整します。
そのため角膜の強度は手術前と比べてもほとんど変わらないので、
格闘家など激しい競技をされる方に向いている手法で現在でも行われています。

ただし、

・角膜の上皮細胞が損傷し、少し激しい痛みが伴う
・上皮細胞再生するまで約1週間は保護用のコンタクトレンズを装着する必要がある
角膜混濁が起こる可能性がある
・両目同時に行うと日常生活を送ることが出来ないので、片目ずつしか行えない
・術後視力が回復して安定するまでに時間がかかる

などの問題点もあり、さらに研究がされることになりました。

フラップを冷凍後加工するケラトミレイシス!

ところで、RKが開発される前の1963年にコロンビアの眼科医バラッケが
ケラトミレイシス(Keratomileusis)という方法の手術を行いました。

まずマイクロケラトームで角膜からフラップを切り取ります。
そのフラップを冷凍した後で、裏面を旋盤で加工してから角膜に縫合するという方法です。

かなり手間と時間がかかりますし、原始的というか大胆な方法ですよね・・・(汗

もちろん精度は低く術後の視力の予想が難しかったので、普及しませんでした。

角膜をスライスして矯正するALK!

バラッケの教え子が1988年頃にケラトミレイシスを進化させた
ALKという方法を考え出しました。

まずマイクロケラトームでフラップを作りますが、完全に切り取らず一部を残しておきます。
そのフラップをめくったあとで、別のマイクロケラトームで角膜の中央部分をスライスして削ります。

スライスする量で屈折矯正を調節することはできますが、

・合併症の頻度が高い
乱視が発生する確率が高い
・執刀医の技術がかなり必要

と問題点も多かったために、これもまた普及することはありませんでした。

PRKとケラトミレイシスを組み合わせたのがレーシック!

PRKの問題点である痛みと術後の回復の遅さを解決するために、
角膜を薄くスライスしてから切り取り、それからレーザーを照射して角膜を削り、
その後薄くスライスしたもの(フラップ)を元に戻せば、
痛みもなく早く治癒するのではないかと思いついた人がいました。

これはケラトミレイシスやALKを応用した方法です。、
しかし、上記の2つにも当てはまることですが、フラップを正確にもとに戻すことがかなり難しく、
微妙にずれてしまうことが容易に考えられました。

そして1990年、ギリシャのイオアニス・パリカリス博士が解決策を発見しました。

それはマイクロケラトームで角膜を薄くスライスした時に、
わざと切り取らない部分を少し残しておくことでした。
これだと、フタのようにぺらっとめくれる格好になり、レーザーを照射後に元に戻せば、
めくった角膜が元の位置に綺麗にくっつくのです。

これは今のレーシック(Laser-Assisted in Situ Keratomileusis)の原型となるものですので、
パリカリス博士はレーシックの父と呼ばれています。

レーシックはPRKの問題点を改善し、有効な治療法として広まって行きました。

ページ先頭へ戻る